反小泉ブロガー同盟の発起人であるthessalonike2氏のブログ「
世に倦む日日」が共産党の党名変更を求め、また共産主義の目標を放棄せよとのエントリーをここ数日アップし続けている。
thessalonike2氏の論述に対してブロガー同盟内の共産党員の人やその他の諸氏から様々な形での問題定義がなされている。
共産党の党名にこだわる必要と不必要
可能性の芸術のために
(カッシーニでの昼食)
ブロガー同盟の呼びかけ人のブログ「世に倦む日日」に思う2
(平和・自由・民主主義とインターネット)
建設的議論のために
(Keep the Red Flag)
わたしはブロガー同盟とも共産党とも関係もないしシンパでもない立場であるが、thessalonike2氏の最新エントリー
「二段階革命論の黄昏と三十二年テーゼ - 不破哲三のロードマップ」に対してその事実認識に疑問を呈してみたい。
まず二段階革命論についてだが、これは資本主義国家がブルジョア民主主義を達成して最終的に共産主義革命に到ることを意味する言葉である。
この二段階革命論がもたらされた事実について、thessalonike2氏は戦前のコミンテルンが各国共産党に指令した「三二年テーゼ」とそれを発信したスターリンに出自を求めている。
しかしthessalonike2氏の論述には補足が必要である。それは二段階革命論は「三二年テーゼ」で発信されたものであるものの、スターリンのオリジナル原案ではないと言うことだ。
そもそも二段階革命論というのはロシア革命以前にレーニンが提唱したものである。これに対する反論としてブルジョア民主主義革命を飛び越えてプロレタリアートの即時権力奪取を提唱したのがトロツキーの「永続革命論」だ。
二段階革命論に対してレーニンがロシア革命以前に提唱したものである事実を提示せずに、スターリンが支配したコミンテルン「三二年テーゼ」が根拠であると論じるのでは、受け取られ方が全く異なってくる。
現在の共産党が「覇権主義」と呼び「歴史的な巨悪」と呼んでいるソ連共産党から指令提供された革命理論を、日本共産党は戦後も後生大事に抱え続けた
thessalonike2氏の記述を読むと、あたかも現在の共産党が二段階革命論を戦時中にスターリンから指令された時点で全く思想的発展がないかのように捉えられてしまう。しかしそうではない。レーニンがロシア革命以前に提唱した根拠が示すように、資本主義国家が共産主義を実現するために辿るルートを模索するために、民主主義が先か、それとも民主主義を通過せずに即座に共産主義を実現するか、いわばマルクス主義における普遍的な命題なのである。
thessalonike2氏の言い残しは、氏が日本共産党の思想変遷を故意にスターリンの悪名の支配下にこじつけ、そこにネガティヴな負荷を付与しようする意図があるのではないかとの疑問を感じさせてしまう。
いまだに二段階について議論されるのをあたかもスターリンの「三二年テーゼ」の呪縛から日本共産党が逃れられないためであるかのようなイメージを供えるthessalonike2氏の、思想史の事実認識の一部分をざっくりと切り落とし、陰謀を暴きだすかのような語り口で提示させる手法はフェアとは言えない。
なお二段階革命論という言葉の表記についてであるが、カッシーニ氏が「二段階発展論」という表記を併用しているように、厳密に言えば正しい表記とはいえない。
日本共産党は2003年(平成15年)党綱領を改定し「共産主義(プロレタリアート)革命を目指す」という条項を撤廃したので、「革命」を表記するのはもはや無効と言うことになる。だから「二段階革命論」は正しくは「二段階発展論」と言い表されるべきものなのである。
現に日本共産党綱領を読めば分かるように、日本共産党は社会主義的「変革」を「
短期間に一挙におこなわれるものではなく、国民の合意のもと、一歩一歩の段階的な前進を必要とする長期の過程」と位置付け、「社
会主義・共産主義への前進を支持する国民多数の合意の形成であり、国会の安定した過半数を基礎として、社会主義をめざす権力がつくられることである。そのすべての段階で、国民の合意が前提となる」として、「革命」の意味するところのプロレタリアの権力奪取を前提としていない。
国民のために政党があるのであって、国民が政党のためにあるのではないだろう。自らの福利実現のために政党を利用し、政党に変化や転換を要求するのは主権者である国民の当然の権利ではないのか
thessalonike2氏の上記のような注文どおり、日本共産党は社会主義的段階を踏むかどうかの選択肢すらも「国民の合意」を前提としていて社会主義的「変革」を合意なき必然とは認めていないのである。
また「
一段階革命論(永続革命論のことか・・・?)
の政治勢力は絶無なのだから、二段階革命論の存在意味はない」とthessalonike2氏が独断するまでもなく、
1、真の民主主義的変革が依然達成されていない
2、社会主義的変革の中心は、主要な生産手段の所有・管理・運営を社会の手に移す生産手段の社会化である
とする日本共産党の立ち位置からすれば「二段階発展」は論理的意味をなす。権力奪取に「国民の合意」を調達する前提が加わっただけで、マルクス主義者の命題はレーニンが二段階革命論を提唱した頃と全く変わらず普遍的だというほかない。
またthessalonike2氏持論の党名変更に関して、「国民の合意」を調達すべき、とする日本共産党の誰が「
共産党の党名変更は共産党自身の問題だからわれわれ外部の者は口出しする権利はないという声」を挙げたのか。こういうことはきちんとソースを提示しない限り不名誉の根拠なきなすりあいに終始せざるを得ない。
以上が、わたしが「世に倦む日日」最新エントリーに関して異論を定義したい事柄である。
最後に苦言を申し上げたい。
Keep the Red Flag氏もthessalonike2氏の言動に関して「
カッシーニが説明してくれる二段階革命論はまさに釈迦に説法」を例にあげて、一部基本的姿勢に異議を感じるところがおありのようだが、わたしはこれに加えて、「
私にとってカッシーニはバスルームでキャキャキャと戯れるアイシャと同じであり、ニコニコと笑いながらシャンプーしてあげて、耳にお湯が入らないように注意して、シャワーで頭を洗い流してあげる愛娘」という発言に「おやめなさいよ」と言わせて頂く。
受け手によってはこれはセクハラ発言と捉えられても反論できない。
By 9
付記:
日本共産党綱領にある「社会主義的変革」の社会主義を「社会民主主義」と同義ではないことを念のため押さえておきたいと思う。
それからthessalonike2氏がなにかとソースにする「三二年テーゼ」であるが、コミンテルンはこれに変わる「三五年テーゼ」も指令しているわけで、コミンテルンそのものすら戦前の共産党に対して与えた目標内容が変遷しているのである。
また「三二年テーゼ」で二段階革命論とともに日本共産党に対して示された日本国天皇を絶対君主と位置付けた内容に関してであるが、現在の日本共産党は天皇制に対して天皇・皇室を日本国の代表的存在として容認する表明を2003年の綱領改定に際して行っている。