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「名無し@詩人さん?」のバラッド



ある朝、社会保険庁から「年金払え」という通知と一緒に、警視庁から「詩を書いてはいかん」という通達が来た。

それから2ちゃんねるから「おまえは谷川俊太郎みたいに詩を書いてお金を稼げないただのヒッキーのニートだからいっぱしのハンネなどを使って詩を書くなんて贅沢だ。うぬぼれている。そんな暇があったらバイトでもしろ。オナニーばっかりするな。逝ってよし(藁・・・・以下略」みたいな長文のメールが1万通来て、プロバイダーのメールボックスがパンクしてネットが出来なくなってしまった。

なので、そのある朝から「ネット」で「詩」を書くことが出来なくなってしまった。よって自動的にハンドルネームは死んだ。

わたしのハンドルネームは自分でいうのもなんだけど、イケメンで、モテるらしい、男か女か分からない、そういうエレガントに、謎めいた、「ネット詩人」ということになっていたのだが、「ネット」も「詩人」もある朝わたしから全部吹き飛んだ。

気がついたら、PCのディスプレイからわたしの「詩のサイト」というやつが消えて、PCはわたしのゆがんだ顔しか映らないディスプレイを抱えた箱になっていた。箱男とはこのことだったのかと感心していたら、わたしと同じような状態に陥った「ネット詩人」が都内の難民キャンプに収容されていると言う記事を「週間新潮」で読んだ。

彼らはみな、一様に「名無し@詩人さん?」という仮の「ハンネ」が与えられてID番号が割り振られたと言う。

今まで「恋の詩」だとか「自殺の詩」だとか「学生の詩」だとか「詩・・・・わたしはうつくしい」という、そんな「詩」を書いてきた天罰だと「週間新潮」は豪語していた。

そんなことはない、イラクで戦争が起こったときはわたしは立派に反戦の「詩」を書いたぞ、と叫んだID456364759というおとこは、次の日国立療養所に連行された。ファルージャと言う地名を彼は答えられなかったかららしい。「名無し@詩人さん?」ID754284542と言うおんなはナスダックを「北京ダックの一種」だと思っていた容疑で3時間の拷問を受けて翌朝廃人になった。せめて廃人じゃなくて俳人だったらよかったのに、と嘆いた「詩」を即興に思い浮かべた「名無し@詩人さん?」568715××××××××××××は「名無し@詩人さん」仲間たちから「この、日和見詩人野朗が!」とリンチを受けてやはりその次の翌朝に廃人になった。

こうして日本中は元「ネット詩人」で現「名無し@詩人さん?」で充満することになった。彼らはみな強制労働に従事させられて何とか生き延びることになった。

「詩的」な文章を書く特技を買われて、出会い系サイトのサクラを時給30人民元で強制的に徴発されてしまったわけである。出会い系サイトで「まりあ」だとか「ももこ」だとか「タカシ」だとか「たくや」だとかありふれた名前を名乗らされて、「セフレ募集!」だとか「心と身体も癒しあいたいの・・・・♪」だとか「主人が相手をしてくれなくて女を忘れて3年目のあたし、これでもいいかな、思い出させて欲しい・・・逆援助もしちゃう。。。☆〜( ^o^)o_彡☆あははっ★いまどこ?」だとか屈辱的な日本語を一日12時間労働で貸し与えられた携帯電話からサクラメールを何万通も送信させられてた。

「名無し@詩人さん?」たちはしばしば反乱を起こしたが、彼らの反乱は当局によって弾圧された。「名無し@詩人さん?」たちは数こそ多かったが、「詩」を書くことに人生をかまけていたので、おまけに「ネット」でしか「顔」を合わせない「ネット詩人」だったので団結力も弱かったので、彼らは弱かった。だからすぐに鎮圧された。

あまりの迫害に耐え切れなくなった一部の「名無し@詩人さん?」たちは海外に亡命した。だが、彼らを海外で待ち受けていたものは、かつてのニートから今はホームレスに更に転落したリアルの暮らしだったのだ。なぜなら彼らは「詩的」な日本語は飽きるほど羅列させることが出来たが「詩的」な外国語を羅列できるほどのインテリの「名無し@詩人さん?」はどこにもいなかったからである。

海外になだれ込んだ政治難民だか経済難民だかわかんない「名無し@詩人さん?」たちは、パリのポン・ヌフのほとりで、あるいはNYのグラウンド・ゼロの空き地で「わたしの詩集、買ってください」と外国語で書かれたプラカードを持って、日本語の「自費出版」の「詩集」を売り始めたが、そんな彼らにパリジェンヌやニューヨーカーたちは一瞥の侮蔑をくれるだけだった。

「詩集」をまったく売れなかった「名無し@詩人さん?」の一部は刺繍で食いつないだが、他の大勢はみな食えない「名無し@詩人さん?」ということで餓死していった。見兼ねた外国人の詩人が、元日本人の「名無し@詩人さん?」を救済する社会事業をはじめたのだった・・・・・と言いたいところだったが、そうはならなかった。外国ではとっくの昔に外国人の「名無し@詩人さん?」の粛清を終えて更なる近代化を果たしているからだった。

かくて「詩人」はおろか、「ネット詩人」もいなくなった日本では「小説」の「新人賞」への応募が殺到した。もはや「詩」では生きていけないということで、「小説」を書くことが「名無し@詩人さん?」の間で大ブレークしたわけである。

でも彼らは容易に「小説」を書けなかった。なぜなら、彼らが昔書いていた「詩」というしろものは「小説」という商品よりもはるかに簡単に書いていたから、「小説」は難しすぎたのである。彼らは「小説」と言う文章をどこで「改行」するのかさえ、まったく知らなかった。

「これは詩なのです」といって「詩的」と呼ばれるものを書いていた「名無し@詩人さん?」たちは、ようやく自分たちが売れなくて食えなかったニートだとかヒッキーだとかだったかつての自分たちを知りつつあるのだった。「ネット」というところで彼らはおたがいの「詩」を見せ合って、彼ら仲間内だけでそれを喜び合う、そんな自慰にふけっていただけだったのだということを。かつて「ネット詩人」だった今は「名無し@詩人さん?」たちは「詩のボクシング」というSMチックなオナニーショウや「詩のリーディングライヴ」という一般市民も震えたつ変態オナニーショウに興じていただけだったということを。

日本では「名無し@詩人さん?」の難民キャンプは「名無し@詩人さん?」のラーゲリと形を変えて、どんどん「名無し@詩人さん?」たちが粛清されていった。

それから数年が経っていった。

もうどれぐらい、「名無し@詩人さん?」は生き残っているだろうか・・・・・・・。

今これを書きながら回想するわたしは数少なくなった「名無し@詩人さん?」の生き残りの一人かもしれない。もはや「ネット詩」がなく、かくして「詩の投稿サイト」も「掲示板」も殲滅され尽くして清掃されたこの街で、わたしはただひとり、ひっそりと、生きている。

地下で引き続き行われていた前衛「名無し@詩人さん?」テロリストたちの「リーディング」地下変態オナニーショウ集会が街の自警団の連中によるアパートローラー作戦で根絶やしとなり、この街からすっかり消え去ってすでに久しい。優秀な前衛的な活動家であった「名無し@詩人さん?」たち、すなわち最も現実では無能生活者だったすぐれた「名無し@詩人さん?」はまっさきに、みな死んでいった。生き残っているのは「ネット詩サイト」で、かつてちんかす程度の「詩の評価」しかなされなかった、そう、わたしのような目立たず地味だった「名無し@詩人さん?」だけなのである。 

そんなわたしの「名無し@詩人さん?」の人生も、こうして終わりが近づいた。

わたしが息を引き取る瞬間は近い。

くだらない「名無し@詩人さん?」なわたしの稼業もまもなく終わる。

わたしのつぶやき、そんなものが、まもなく朽ち果てるのだ。

名無し@詩人さん?、名無し@詩人さん?、名無し@詩人さん?、名無し@詩人さん?、詩人さん?、詩人さん?、詩人さん?詩人さん?詩人さん?、・・・・・そんなクエスチョンマーク付きの侮蔑をこめた蔑称にまみれたわたしの人生、わたしにはそれが、すべてであったのだ。

もはや死を臨んでわたしの眼中には一点の曇りもない。そうだ、そうなのだ、わたしは、いや、わたしこそ、オナニーショウとちんかすに明け暮れたわたしこそ、そう、そうだ、まぎれもなく、名無し@詩人さん?、本物の名無し@詩人さん?、ベスト・オヴ・名無し@詩人さん?、グレイテスト・オヴ・名無し@詩人さん?だったのだと、そうだったのだということを・・・・。

そしてわたしは、最後の瞬間、こう叫んで、レジェンド・オヴ名無し@詩人さん?の伝説を語り終えてこの本物のベスト・オヴ・グレイテスト・オヴ・レジェンド・オヴ・チャンピオンシップ・オヴ・名無し@詩人さん?な人生に幕を閉じる!!!!!  



そう、 




これこそが、



まさしく、








人類と、



わたしの、







の、

「詩」*
 、
(*註・・・オナニー)




と・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。



















15:12 | fiction | comments(0) | trackbacks(5)